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日越外交関係樹立35周年記念
特別インタビュー

 

今号は日越外交関係樹立35周年記念号ということで、ホーチミン日本商工会の歴史に深いかかわりを持つお二方にインタビューをお願いしました。

 

ベトナム日本人材協力センター藤井所長

藤井さんとベトナムとのそもそもの関わりからお教えいただけますか?

私自身がベトナムに参りましたのは1994年12月が初めてです。92年あたりから外資の進出が活発化していたのですが、その中で、もともと1972年から74年まで合弁で進出していたベトナムナショナルの現地従業員から再進出を望む声が高く、とりわけナショナルブランドのテレビをベトナムに再度導入したいという要望から、テレビ事業部を担当していた私に白羽の矢が立ちました。2006年4月には定年ということで、1月末に一旦帰国したのですが、その後、ハノイにおける中小企業の立ち上げで戻り、今現在は日越人材協力センターに民間から初めての代表という形で籍を置いています。ホーチミン市では10年近くお世話になりましたので、ホーチミン市の皆さんに何かお返しができれば、という思いで所長の任をお受けしました。
振り返るといろいろありますが、なんだかんだでベトナムとの関わりは14年目になりますね。


藤井孝男氏(VJCC-HCMC所長) 1998年度に始まったホーチミン市人民委員会とのラウンドテーブルにおいて、98年〜05年度まで作業部会総括として人民委員会とJBAHの橋渡しとなる。

 

藤井さんといえば、ラウンドテーブルでの貢献を抜きには語れません。思い出深いことなどお教えいただけますか?

そうですね、まず、今日の日越共同イニシアティブがホーチミン商工会のラウンドテーブルに端を発していることを何より嬉しく、誇りに思っています。もちろん、初期のころは問題提起をしてもその後の進展がほとんど無いなど、苦労は多かったですが・・・。まず問題を認識してもらうのに3年、次に先方の言い訳を打開するのに3年、最終的に回答を用意してもらえるようになるまでには、膨大な時間がかかりました。ですが、私はラウンドテーブルを自分がどうこうということではなく、そのプロセスこそが、ベトナム政府と商工会の現在の相互理解と信頼を築く大事な基盤になったと思っています。

日本とベトナムとの協力関係構築に注力なさる藤井さんとして、両国の今後をどのようにお考えですか?

ベトナムは日本と文化的背景も近いですし、政治的にも安定していますから、今後、より深く、モノづくりのパートナーシップが組める国だと思います。今後の課題は裾野産業の開発と人材育成だと思いますが、支援し、支援されるという関係ではなく、同じ目線に立ち、両国のためにどうあるべきなのかを検討していくことがパートナーシップを築く上で肝要ではないでしょうか。

私個人としては勉強熱心なベトナム人と、ベトナムが持つ郷愁に強い愛着を感じています。政府の対応など問題はなくはありませんが、総括して、ベトナムは愛すべき国だと思いますね。



東和製作所渡邊社長

今まで部会長、各委員会の委員長を歴任し一番印象に残っていることは何ですか?
部会、各委員会、10年で色んなことがありました。VATの導入、突然の税制や労働法などの制度改正へのセミナーの企画運営など。中でも衝撃的だったのは最低賃金法の突然の改定による2006年年初の日系企業に連鎖した違法争議への対応でした。たまたまその時税制・雇用委員会を任されており、会長や総領事とともに事態収拾のため毎日駆け回りました。2007年も違法争議が続き結果3期も税制・雇用委員長を続投するはめになってしまいました。

日系に広がった違法争議への対処でご苦労なさった点は何ですか?


渡邉豊氏(東和製作所VN社長) 1995年より在越。1998年初代第四工業部会部会長を始めとし日本人学校、人材育成プログラム、税制雇用委員会(3期)委員長を歴任、2008年度副会長。

ベトナム政府、行政にとっても外資に広がる違法争議は初めての大事件であるものの、国の体制や労使慣行が日本と全く異なり、行政に日系企業の要望が伝わらず公平な仲裁がなされず対応に苦慮しました。特に法が現実的に運用されないことには驚かされました。他の問題についても、官民一体でベトナム側に必死で働きかけても「相手」のある問題であり、努力すれども咬みあわず結果が伴わないことに会員から不満がでるのは辛かったです。

 

渡邉さんは業務で日本、中国とも行ったり来たりと聞いています。特に大変でしたでしょう。

その当時の会長からお引受した以上、担当する課題に対して会を代表して対応せねばならないのは当然の責務です。ただ現業業務とのスケジュール調整には本当に苦労しました。帰国休暇をあきらめ、休日、深夜の時間を使い何とか帳尻を合わせました。若かったから出来たと思います。

 

では逆にJBAH幹部就任で得られたことを教えてください。

共通の課題を持つ多くの仲間と知り合えたこと。同じ問題についても各々の立場、見識により色々な考え方があることを体感しました。それは一企業、同一業種内では経験できません。また2009年2月の皇太子殿下との接見や小渕総理大臣、奥田経団連会長との会食なども生涯の思い出です。

 

最後に会員の皆さんに一言。

私が入会した96年当時に比べ、会員企業の連帯感が弱くなったなと感じてしまいます。年々会員数や投資地域も拡大し時代も変わり、やむをえないことと思いますが、会費を払っているので情報が得られるとか、自社の問題解決に協力がえられるとか受身の方が多い気がします。商工会発足の目的は「異国の地で日系企業同士団結し相互に援け合う」が基本であり、会員の方々には活動への参加や自社の情報発信などをもっと能動的に行って頂けたら良いなと思います。駐在戦士への助言としては、あまり日本式に固執せずに「日越ベクトル」を上手く見つけること。それが気力を維持する秘訣かもしれません。